フィクションノンフィクション 59




 
 

 不思議な体験(2)
 
 

              
  事故の後、いきなり赤ん坊が2人に増えたママの生活は大変でした。

 仮にも一家の主が、突然赤ん坊同然の状態になってしまい働く事も出来なくなってしまった訳ですが、幸いママの実

家がお金持ちだったので、金銭的には全く心配しなくても良いのがせめてもの救いでした。

 毎日の生活は小さな赤ん坊の方はともかく、身体の大きな赤ん坊の方はそう簡単に行きません。1人で動けないので

すから大きな赤ん坊のオムツ交換も服の着替えも1人ではなかなかです。それで、ベビーシッターさんを1人雇って朝か

ら夕方まで毎日来てもらう事になりました。

 時々、ママのお母さんも手伝いに来てくれたので何とか大小2人の赤ん坊の世話は3人で見る事が出来ました。

 小さな赤ん坊の僕の方は主にベビーシッターさんが1人で世話をし、大きな赤ん坊の方はママとママのお母さんが世

話をしていました。

 小さな赤ん坊の方は中身が大人のパパですから、あまり騒ぐ事もむづがる事も無いですからベビーシッターさんも

オムツ交換とオッパイ位で保育も簡単だったと思います。しかし大きな赤ん坊の方は中身が本当の赤ん坊ですから、

毎日の世話も大変です。身体の小さな赤ん坊でもやんちゃな子の世話は大変なのに、そのやんちゃな赤ん坊の身体

が大人の大きさなんですから、オムツ交換ひとつにしても暴れたら女性1人では替えられません。ただ一つ救いは中身

が本物の赤ん坊ですから、あやしてご機嫌を取れば比較的言う事を聞いてくれるのでなんとかなりました。
 

 やがて2人の赤ん坊が退院して半年もすると、ようやく赤ん坊の意識を持ったパパもつかまり立ちからよちよち歩きを

始めました。

 本当に小さな赤ん坊の成長過程そのままでした。一つ違ったのは元々初めから身体が大きい大人サイズだったと

いう事です。そして又パパの意識を持った赤ん坊の方も段々と成長するに連れて大きな赤ん坊と同じ様に掴まり立ち

からよちよち歩きを始めたのです。

 パパの意識を持った赤ん坊の方も半年も経つと、かなり赤ん坊の生活に慣れてきました。

 心は大人の男性でも身体は小さな赤ん坊ですから、ちょっとむずかって見せると直に優しくママが抱っこしてくれるし、

オッパイももらえるし、オムツが濡れても気が付けば誰かに直にオムツを交換してもらえます。大人の時のように自分

から周りの人に気を使わなくても、反対に周囲の人が気を使っていろいろと世話を焼いてくれるんです。若いママさん

や時には若い女性にも抱っこしてもらえる時もあります。言葉は無くても表情を見て、喉が乾いていると思えば哺乳瓶

の乳首をくわえさせてくれるし、オシッコもウンチもトイレに行かなくてもいつでもどこでも気がねなくオムツにオモラシが

出来てしかもそれを誉められるんです。

 最もオモラシの方は、実際心は大人でも身体の機能は赤ん坊ですから、まだ身体自体の機能が発達していない為に

本当のオモラシでこれはどうしようもない事です。

 普通順調に成長していくと、早ければ1歳過ぎ位でオムツが濡れた時の不快感をママに訴えるようになり、オムツ外

しにつながって行くわけですが、元々何故かオムツが好きで幼児願望まで有ったわけですから、事故のショックから

少し立ち直ってきて、あきらめの気持ちと身体の成長を自覚して、将来の希望も少し見えたりしてくると、少し気持ちに

余裕も出てきてオムツへのオモラシの快感を楽しみ始めました。

 ですから当然オムツへのオモラシが不快感では無く快感となると、オムツへのオモラシもママには教えない訳で1歳半

になっても、2歳になっても夜は勿論昼間のオムツもいつまでも取れませんでした。

 しかし身体は成長していますから、オムツへのオモラシは教えなくても月日が経てばハイハイや立ッチも出来るように

なってきたんです。

 2人の赤ん坊の世話に明け暮れていたママ達もなかなかオムツは取れなくても、そんな2人の赤ん坊の成長が何より

も日々の生活の励みでした。

 成長の無い老人の介護ではなく、成長する子供の育児、保育だったからママもその成長過程を楽しみにしてやってこ

れたんだと思います。
 

 2人はその後も順調に育ち、やがて退院して1年半が過ぎようとする頃、赤ん坊の意識を持ったパパは少しオシッコを

教えるようになり、やがて昼のオムツは取れました。とは言ってもオムツは外してもまだたまに失敗は有るので、失禁

パンツを穿いて紙オムツを失禁パンツの中に当てていましたからオムツと変らないかもしれませんけど。小さな赤ん坊

であれば失禁パンツだけでも十分なんでしょけど、身体は大人なのでオモラシの量も多く失禁パンツだけでは吸水量が

足りなくてもれてしまうんです。

 それでも徐々にオシッコを教えられるようにはなってきていました。

 ところが、パパの意識を持った赤ん坊の方は、いつまで経ってもオシッコもウンチも教えられずに夜も昼もオムツは

一日中当てたままでした。本当はわざと教えない部分もあったんですけど。でもそれでもママにして見れば、それまでの

2人の赤ん坊が1人に減って、しかも世話の減ったのが大きい方の赤ん坊だったのでかなり楽になりました。

 ママも気持ちが楽になった為か、余裕も出また性格も元のように明るくなってきました。

 それはさっきも言ったようにパパの状態がすこしづつ確実に良くなってきていると言う事と、赤ん坊の方もオムツは

取れないけれど少しづつ大きく成長しているのは明らかだったからです。
 

 パパの意識を持った赤ん坊の方は、いつまでも好きなオムツを当てていられるだけでなく当然幼児扱いでママに優し

くかまってもらえる事が快感になっていました。元々オムツが好きで赤ん坊になって甘えていたいと言う願望があった

訳でそして突然思いがけずちょっと困った状態ではあるけど、その願望が自分の意思とは関係無く適ってしまったんで

すから。

 しかも子供には悪いけれど、間違い無く身体は成長しているんですから考え方によっては一挙に30歳近く若返っても

う一度人生をやりなおせるわけです。 もう一度赤ん坊から人生をやりなおせて、しかも今は好きなオムツを当てて赤

ん坊としてかまってもらえるという事はすごくすばらしい事のように思えたんです。

 ただ普通であれば成長するにつれて、オムツ離れもしなければ駄目な年齢なんでしょうけど、本人にして見れば折角

のオムツのチャンスをそう簡単にはあきらめられ無い気持ちも有りました。欲を言えばこのままいつまでもオムツをマ

マから当てつづけられたいと思っていたんです。ですから出来る限りオムツを長く当てられるにはどうすれば良いかと

考えていた位だったんです。

 赤ん坊の意識を持ったパパの方は、オムツが取れてそしてハイハイから伝い歩きと少しづつ成長して行く訳ですか

ら、ママの方も理由も分からずある日突然赤ん坊に戻ってしまった時の事も少しづつ忘れて赤ん坊の意識を持ったパ

パの成長の過程を楽しみにしていたんです。そしてようやく世話の掛かるパパのオムツが取れ始めた訳ですからママ

もおお喜びでした。しかも成長のスピードは遅くても間違い無く成長しているわけですからいつかは又大人のパパに戻

るとママは信じていたんです。

 それから又一年経った頃、パパが赤ん坊状態に戻ってから3年が経ちパパも順調に成長し言葉もかなり話せるように

なりました。ただ昼間もまだたまに失敗が有るので失禁パンツは離せませんでした。そして夜もまだオネショの心配が

あってオムツは毎日当てていました。

 でも赤ん坊の方はと言うとパパと同じ様に歩けはする物の、3歳になってもオムツはやはり取れていませんでした。
 

 そんなある日の昼下がりに、暖かくお天気も良かったので親子3人で近くの神社へ散歩に行ったのです。

 ママの方は、もうその神社がパパと赤ん坊の入れ替わりのキッカケと言うか原因の場所と言う事も忘れていて事故の

有った場所と言う認識ももうあまり有りませんでした。勿論赤ん坊の意識を持ったパパも当然そんな事はわかりませ

ん。事情を良く分かっていたのは、パパの意識を持った赤ん坊だけです。

 でもまだようやく片言が話せる程度の会話の能力では、ママに説明する事等到底出来ません。

 それにオムツへの愛着は相変わらず有ったものの、やはり親として子供は可愛いいので、このままの状態が続くよう

であれば自分が30年近く若返るという事が、裏を返せば子供の若さいわば寿命を奪う事になるのではと言う思い、そん

な気持ちが錯綜したり、しかしその事に対して自分では何も出来ない為にジレンマに陥ったりしていました。

 ベビーカーの中でそんな事を考えていると、いきなりベビーカーが少し動いたんです。確かママはトイレに行った筈で

首を回して後を見ると、赤ん坊の意識を持ったパパがベビーカーを押していたんです。

 最近は赤ん坊の意識を持ったパパもかなり足がしっかりして来ていたので、後を見てベビーカーを押しているのが

パパだと分かると僕もちょっと安心して、3年ぶりの神社の境内をキョロキョロと見まわしていたんです。ですからパパ

がベカーを押す数m程先に、3年前に2人一緒にベビーカーもろとも転げ落ちたあの石段がある事に気が付きませんで

した。

 境内をキョロキョロ見まわしながらふと前を見た時に目の前にあの石段を見た時も、あああの階段だと言う位にしか

思わなかったんです。パパの押したベビーカーがゆっくりと石段に近づきます。ああ?、あそこだ。あの辺かなと思ってみ

ていると、と石段の前で急にベビーカーが何かのショックでいきなりスピードが付いたのです。

 びっくりしました。危ない。しかしベビーカーに乗った僕には丁寧に股の所から腰に落下防止のベルトがしてあるんで

す。

 何故急に?パパがつまづいて前にこけたんです。そしてその拍子にベビーカーも前に押され石段までの最後の1mを

パパと一緒に再び転げ落ちたんです。
 

 そして、再び気がついた時、パパは又3年前と同じ病院のベッドに寝ていました。

 目をそっと開けるとゆっくりと周りの景色が目に入ってきます。目に入ってきたその景色は明らかに病室の中でした。

 ふと足の痛みに気が付くと、どうやら両足が動きません。首を下に向けると、両足共にギブスで固めてあるような感じ

でした。
 

 『ああ〜。あ〜、足が。自分の足だ〜。あっ、あ〜、身体が、戻ってる。』
 

 気が付くと僕の身体が、3歳の幼児の身体ではなく大人の身体に戻っていたんです。

 自分で自分の身体を見て、びっくりしました。その時、・・・・。
 

 『うっ、い、痛〜。』

 「うっ。う〜っ。」
 

 頭の中を一瞬割れるような痛みが走りぬけました。

 しかしその頭の痛みをきっかけにして、次第に記憶が戻って来ました。

 3年前の神社の石段からの転落事故によって子供と入れ変り、そして又今回も神社の石段からの転落事故によって

子供と入れ替わって元の大人に戻れたんです。子供と入れ替わっていた間の赤ん坊としての3年間の生活の記憶が一

瞬の間に、僕の頭の中に蘇ってきました。そうだ。子供はどうしたんだろう?

 ふとその時、自分に話掛けられる言葉に気が付いて目を開けると、妻の顔が目の前に有りました。
 

 「子、・・・。子供は?」と、妻に問いかけると。

 「大丈夫よ。あそこから落ちたのに、不思議な事に全然怪我もすり傷も何も無いのよ。でもその分あなたの怪我が

ひどかったけど。えっ、でもあなた、・・・・あなた、話してる。話せるのね。」

 「えっ?」

 「だってこの前の事故の時から頭の中身が赤ちゃんみたいになっちゃって少しづつ元に戻ってきてたけど、でもまだ

小さい子供みたいに片言程度しか話せなかったのに、今は前みたいに話せてる。良かった。良かった。きっと今度の

事故でまた頭を打ってそれで頭が元に戻ったのね。良かった〜。あ〜。うえ〜ん。良かった〜。あなた〜。」
 

 「僕は、・・・・?」

 「両足と右手を骨折して、おまけに左の肋骨も2本骨折して、先生が骨がくっつくだけでも2ヶ月掛かるって。それに

頭も少し打っているからしばらくの間はず?っと安静にしてくださいって。って分かるかな?先生がね、ずっとおとなしく

静かにしてなさいって。」

 「 う、うん、・・・・・・・。 」

 「だから、折角オムツ取れたけど又オムツしてるのよ。オムチュ濡れたらママに教えてね。」

 「えっ、う、・・・・・・・。 」
 

 妻は当然僕の記憶が戻ったと言うか、子供と入れ替わったなんて知らないんです。最もその前にも僕と子供の入れ

替わりがあって、今回の入れ替わりでまた元に戻ったなどと言う事は、全く知り様も有りません。

 ですから相変わらず妻は、僕が事故で頭を打って赤ん坊程度の知能になってしまって、その後月日の経過と共に頭

の程度が徐々に赤ん坊から幼児程度にまで持ちなおしてきたと言うか成長してきたと思っているんです。

 以前の事故の後は、僕が突然に子供の赤ん坊に入れ替わってしまった為に、到底妻にそんな事を説明できるような

状態どころか中身が6カ月の赤ん坊では、全く言葉も話せるような状態では無かったからです。

 そして再度の入院をしたばかりの今回の僕は、頭の中身は従来通りの僕であっても、まだそこら中身体を打って頭や

身体のそこかしこに痛みもあり、妻に説明をするだけの元気も又余裕も無く、また再度の事故のショックもあって直に

妻に今までの事を説明できるような状態では無かったので、ただ黙っているしかなかったんです。

 でもそんな状態でも、僕はまたオムツを続けて当てていられると言う事がうれしかった位ですから、余ほどのオムツ好

きなんだと後で自分で感心していました。実際、その時は自分のお尻に当る柔らかい布オムツの肌ざわりの心地よさ

をを感じながら再び眠りに付きました。

 ところが、子供の方は、僕と反対に今回は全くかすり傷の一つも無く、又結果として子供にして見ればしばらく留守に

していた自分の身体にに2年半ぶりに戻ってきたわけで、そして心と身体の成長がそれぞれ別だったにも係わらず

元々自分の身体だったからか2年半ぶりの合体でも心と身体はピッタリと合った見たいで、すんなり元通りの身体に戻

れて楽しそうでした。と言うのは再び目覚めた時に、3歳の子供は元気良くママと一緒にパパのべッドの側にいたからで

す。
 

 その後子供の方は、子供の身体の中に僕が入っていた時はいつまでもオモラシが止まずにずっとオムツが取れなか

ったのに、子供が自分の身体に戻るとわずか1ヶ月もしないでピタッとオモラシもしなくなったので直にオムツも取れてし

まいました。元々子供の方はごく普通の子供で別にパパみたいにオムツが好きで当てていた訳では有りませんから大

きくなればオムツが取れるのも自然な成り行きです。

 でもそれに比べて、パパの方は、両足骨折で寝たきりの為に病院の中で一日中オムツは当てたままで以前の赤ん坊

の時と同じ様にオシッコもウンチもオムツにオモラシをして看護婦さんやママにオムツ交換をしてもらっていました。
 

 ママはしばらくしてパパの容態が落ちついてくると、パパが以前のパパとは違う事に気づき始めていました。入院した

ばかりの頃にいきなりパパが『子供は、・・・?』って聞いて来た時に、ママは瞬間にパパの頭の中身が元に戻ったと分

かったようでした。言葉使いも前のような幼児言葉ではなく大人っぽい話し方に変っていたからです。

 ただまだ怪我の痛みや頭を打っているためか以前と違っておとなしく、言葉数も少ない為に、もうひとつ様子が分から

ない部分も有りましたけど、ママはパパが以前とは変わっている事に少し気づいていました。ただそれはパパが以前よ

りも知能が戻ったらしくたまに出てくる言葉が明らかに大人の言葉で以前のようにもう一つ意味の良く分からない幼児

言葉ではなかったからです。それでもまさかその理由がこれまでの2年半もの間子供とパパの中身が入れ替わってい

た為の変化だとは想像も出来ませんでした。
 

 ママからすれば、今までは、パパも赤ん坊も2人ともオムツを当てていて、でも時と共にパパの方は少しづつオムツ

が取れかけていたのに、パパの方はは2度目の事故の後、入院中に再度オムツの生活に戻ったせいか、折角取れか

けていたオムツが退院後も又取れなくなってしまったのが、少し不思議でした。それでも理由は良く分からないけれど

パパが以前は幼児程度の知能だったのがどうやら前の大人程度の知能には戻って来ている事で十分に満足でした。

 だって今までは話が出来たと言っても所詮頭の中身は3歳の幼児ですから、会話と言えるようなものでは無かったの

に、事故の後のパパとは少しづつでも大人としての会話が出来たからです。

 子供の方はと言うと、いつまでもなかなかオムツが取れないのに、頭の方はすごく良くてこの子ひょっとして天才かも

なんて親の引いき目だけでもないと思っていたのに、2回目の事故の後はそれこそ突然にごく普通の3歳の幼児に戻っ

てしまったのも少し不思議に感じていました。

 勿論、パパの方は、事故直後はともかく次の日にはもう口も効けたんですが、事故による子供との入れ替わりの事を

ママにどう言うふうに説明しようか、いいえこのまま説明しないで置こうかず?と迷っていました。

 それはまずこんな不思議な事をママが信じてくれるのかどうかと言う事です。赤ん坊になっていた時ならまだしも元の

大人に戻ってしまった今となっては何の証拠も無いこんな話を誰も信用しないのではないか、信用しないだけではなくて

頭を打ってまた変になってしまったと思われるだけではないのかと考えてしまったんです。

 ですからママにも考えれば考えるほど何も言えなくて黙っていたんです。

 いっそのこと少し頭の中身が元に戻ったと言っても、オムツは当てているし頭もまだ完全に元には戻っていないと言う

事にしてこのままのずっと何も言わずに黙っていようかとも思っていました。でないと、入院前にはオムツが取れていた

んですから、このまま入院していて怪我が順調に治ればオムツも外されてしまいます。

 時々は大人の話し方をしてママと少し会話をするとその後は以前の子供の知能を持っていた時のパパの様子を言葉

使いなどを思い出して、そのマネをしていたんです。ですからママもパパが完全に元に戻っているとは気が付かずオム

ツを当てている事も有ってかいつもどちらかと言うと以前の赤ん坊の時のような態度でパパに接していました。

 元に戻ったパパもそんなママの赤ん坊扱いに応じてママに赤ん坊の様に甘えたりしていたので、ママもパパの変化に

気付きはしていた物の慣れてくると又以前の中身が赤ん坊だった時のパパと同じ様に扱っていたんです。
 

 病院では当然のようにママはパパが自宅で使っていた布オムツと介護用のオムツカバーを持って来ていました。布オ

ムツは子供と共用で使っていたので、無地の物と可愛い柄物の布オムツが半分づつ位ありました。ですから病室の前

のベランダにはいつも大きなオムツカバーと可愛い柄物の布オムツや無地の布オムツがオムツハンガーに干されて

風に揺れていました。2ヶ月位すると介護用の歩行機を使って、リハビリが始まりましたがオモラシは止まらずやはり

いつもオムツは当てたままでした。

 入院中の3ヶ月間、毎日のようにママはパパの着替えを持ってパパの病院に通いました。子供の方は全く元気で本

当に普通の子供に戻ってしまいましたが、ママに取ってはいつまでもオムツは取れない天才の子供よりは、今のオムツ

のいらないごく普通の元気な子供らしい子供の方が良いなと思い始めていました。

 パパの方は、以前赤ん坊の身体でオムツを当てていた時は念願のオムツを赤ちゃん扱いではなく、赤ちゃんそのも

のとして当てられていた訳でうれしい反面、きっかけがきっかけだけに子供の寿命と交換したみたいな後ろめたさもあ

って素直にオムツに無中には慣れない所もありました。でも、2度目の事故で又大人に戻れた事しかも大人に戻っても

両足骨折の為に再びオムツを当ててもられた事がうれしくて仕方ありませんでした。